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時代的见证——中国的传统服装“旗袍”

作者:中日交流 来源:中日交流 2015-06-22 09:18 我要评论( )

チャイナドレス 時代を語る中国の伝統衣装 文・訳/周 栄栄 長い歴史を持つ中国女性の伝統衣装として、チャイナドレスは代々の中国女性に愛され、世界中でも広く知られており、

チャイナドレス 時代を語る中国の伝統衣装
 文・訳/周 栄栄
 
    長い歴史を持つ中国女性の伝統衣装として、チャイナドレスは代々の中国女性に愛され、世界中でも広く知られており、中国の伝統文化の代表の一つともされている。国際映画祭では、たくさんの映画スターのドレス姿の中、中国の女優のチャイナドレス姿は特に異彩を放ち、着る人をより美しくしました。こんなように高く評価されるチャイナドレスはどういうふうに生まれ、現在に至るまで発展してきましたか?
 
袍服(ぽうふ) チャイナドレスの前身
 
 「袍服」は商周時代(紀元前1600年~紀元前256年)に現われた「深衣」に由来したものです。古代の服は主に上下別で、上は「衣」、下は「裳」というのが主流ですが、上下が繋がっている深衣もありました。深衣は後に袍服となり、最初は知識人と統治階層が着ることが多かったですが、漢の時代に大きく発展し、徐々に庶民の間にも流行っていました。 
チャイナドレス(旗袍)はもともと清の時代の統治者である満民族の民族衣装であり、満民族の人はまた「旗人」と呼ばれるため、満民族の人が着る「袍服」は「旗袍」というのです。1644年に清の軍隊が北京に入り、庶民に漢民族の服飾を禁じ、満民族の民族服「旗装」(満民族の人は「旗人」とも呼ばれるため)を強制的に普及させ、それで千年も続いた漢民族の服飾文化があっという間に満民族の「旗装」文化に替わりました。

根据历史资料所绘制的身着深衣的汉代女性
資料により描かれた漢の時代(紀元前202年~220年)の深衣姿の女性
 
「旗人の袍」は「男の袍」があれば、「女の袍」もあり、そしてチャイナドレスは「女の袍」のみを指しているのです。1840年アヘン戦争以降、中国の大門が開かれるとともに、外国のファッションも中国に入ってきました。辛亥革命(1911年)で清王朝が滅び、2千年の歴史を持った帝王時代にも終止符を打ち、そして近代文化の始まりを代表する民国時代が始まりました。こんな歴史の変革の中、旗袍文化が生き残りました。なお、日本や欧米等外国のファッションから影響を受け、近代的な「中西折衷」の新しいスタイルのチャイナドレスが現われ、そして民国時代のチャイナドレスの魅力も生まれました。
 
清代汉族富裕家庭妇女身着的旗袍
清の時代に、漢民族のお金持ちの家の既婚女性の旗袍
   
清宫内满族贵族女子所穿的旗袍
清の時代に、宮廷に暮らす貴族の女性の旗袍姿

 
 
 民国時代 チャイナドレスの「黄金の時代」
前世紀20年代初期、「新文化運動」で人々の美に対する意識が蘇りました。都会の女性の間に「文明新装」ブームが流行り、西洋に留学した女子学生や中国本土の教会学校の女子学生たちが率先して新しいスタイルのチャイナドレスを身に纏い、都会の女性たちはそれをファッションとして次々と真似しました。でも当時のチャイナドレスは依然としてぶかぶかで、袖の形は上が細くて下が広い、裾の部分は大きい、全体の形としても三角形のように上が細めで下が広めだが、肩と胸及び腰の部分が、体のラインに合わすように仕上げました。その年代に生まれた著名な女性作家張愛玲はエッセー集『更衣記』に当時のチャイナドレスについて、「初期のチャイナドレスはとても厳正で型にはまっていて、清教徒の風格がある」と語りました。
 
身着文明新装的民国年轻女子们  「文明新装」を身に纏う民国時代の女性たち

 
20年代半ばから上海は中国の流行とファッションの中心都市として、国際的なファッション要素を積極的に取り入れ、チャイナドレスの発展をリードするようになり、チャイナドレスを大胆に改良し、「海派旗袍」(上海流チャイナドレス・訳者注)が出現しました。20年代後半以降、チャイナドレスの腰部分は更に細くなり、裾の丈もどんどん短くなり、1929年になると、上海の女学生が着ていたチャイナドレスの裾が膝部分まで上がっていました。 


20世紀20年代から30年代の都会女子学生の服装
20世纪20年代到30年代大城市女学生们的服装

 
   30年代から40年代まではチャイナドレスの「黄金の時代」と呼べる時期であり、中国の婦人服の歴史の中でも最も輝かしい時代でした。チャイナドレスの形が細長くなり、ヨーロッパの流行を取り入れるようになりました。この時のチャイナドレスは完全に「旗女の袍」の型から外れ、独自のスタイルで進んできました。裁縫の仕方と服のスタイルは西洋の影響を強く受け、襟と袖も西洋風に仕立てられ、胸と腰及び肩と脇下がより体のラインにぴったりするようにしました。肩の部分に柔らかいパットを付けた「美人肩」という新しいスタイルも現れました。人々の思想が徐々に解放され、自由化していき、昔の陳腐な固定観念に囚われなくなりました。 
  
20世紀40年代の上海のチャイナドレス専門店の広告用ポスター
20世纪40年代上海某旗袍专门店的广告用宣传海报

 

建国後  チャイナドレスの波乱万丈の時代
1949年以降、チャイナドレスは中国の大陸部で忘れ去られた存在となりました。でも香港ではチャイナドレスを着る文化が依然として残りました。1966年から1976年までの「文化大革命」の10年間に、チャイナドレスは「旧社会」「封建資本主義」の象徴として着ることすらも禁じされました。軍緑色の軍装が一番のファッションとして若者の間に流行りました。
70年代末期「文革」が終わり、中国のファッション界が新しい時代を迎えましたが、チャイナドレスが昔の栄光を取ることがなかなかできなかったです。改革開放に伴って、外の世界に憧れる人々は、全身を欧米のファッションで飾り、外国の物事を熱狂に追い求めました。落ち着いた気持ちでチャイナドレスの美を再発見する余裕はありませんでした。
 
(「文化大革命」の10年間に、若者の間に流行していた「紅衛兵」ファッションスタイル
“文化大革命”期间,在年轻人之间流行的“红卫兵”时尚)
 
    
20世紀80年代、中国で一世を風味した「足踏み」タイツを履いた女性、「足踏み」タイツは、欧米ファッションとされていた。
20世纪80年代,身穿当时流行的“健美裤”(踏脚裤)的女性。健美裤被认识是从欧美传来的时尚产品。

 
 
 
 

 
現代 チャイナドレスの再び輝く時代
 
90年代以来、チャイナドレスは再びファッションステージに上がり、人々の目を引くようになりました。チャイナドレスは国際ファッションショーでよく受賞し、数々の有名デザイナーはチャイナドレスを高く評価し、チャイナドレスから新しいインスピレーションをもらったと言いました。中国の映画スターはよくチャイナドレス姿で国際映画祭に出席し、チャイナドレスの魅力を世界中の人々に発信ました。しかも中国の「第一夫人」彭麗媛もチャイナドレスが特に好きで、国際的なセレモニーなどの舞台でよくチャイナドレスを着ていました。「第一夫人」のチャイナドレスに対する愛が中国全土で新しい「チャイナドレスブーム」を巻き起こしました。長い歴史を持ち、中国女性のスタイルと気品をもっとも際立たせる民族衣装として、これからもより多くの女性に愛され、再び人気を取り戻すでしょう。

現代のチャイナドレス、伝統と現代をうまく融合した新しいスタイル
当代旗袍,将传统和现代巧妙地融合在了一起

 





時代的见证——中国的传统服装“旗袍”
       旗袍作为中国女性最具代表性的传统服饰,不仅有着悠久的历史,被中国女性广泛喜爱,而且在全世界也广为人知,是中国传统文化的代表之一。在国际影展众多明星的各色礼服中,中国女明星们那一袭精美绝伦的旗袍总是大放异彩,独领风骚,让明星们更加美丽动人。那么,如此富有盛名的旗袍是如何产生的,又经历怎样的变迁呢?
袍服 旗袍的前身
     “ 袍服”源于商周时期出现的“深衣”。古代的服装多为上下分开穿,上衣下裳,但是深衣却是衣与裳连在一起的。深衣后来逐渐演变为袍服,穿者多为知识分子和统治阶层,汉朝时得到了较大的发展,而后在民间也逐渐流行起来。
旗袍原本是清朝统治阶级满族的民族服装,但因为满族人又被称为“旗人”,所以满族人身穿的袍服也就被称之为“旗袍”了。公元1644年随着清军入关之后,老百姓被强迫弃汉服穿旗装,相传千年的汉族服饰文化也在一瞬间被满族的“旗装”取而代之。
 旗人之袍包括男袍和女袍,旗袍仅指旗女之袍。1840年鸦片战争以后,中国的对外大门被打开,外国的服饰理念也随之而来,带动了旗袍文化的变革。辛亥革命(1911年)以后,在中国延续两千多年的帝王时代随着清代的灭亡而画上了句号,代表中国近代文化开端的民国时代从此开始,但旗袍文化还是流传了下来。并且旗袍因为受到了日本欧美等异国服装文化的影响,形成了近代"中西合璧"的新式旗袍,也造就了民国旗袍的魅力。
民国时期 旗袍的“黄金时代”
       上世纪20年代初期,轰轰烈烈的新文化运动唤醒了人们对美的渴望和追求。在这一时期,城市女性中兴起了一阵“文明新装”的新潮,留洋女学生和中国本土教会学校的女学生们率先穿起新式旗袍,城市女性们奉之为时尚并且纷纷效仿。这个年代的旗袍仍然宽大平直,袖子上窄下宽,旗袍的下摆也比较大,整个袍身也是呈上窄下宽的三角形状,但肩、胸乃至腰部,已开始显现合身趋势。出生于那个年代的著名女作家张爱玲在其散文集《更衣记》 中曾经这样评价民国初期的旗袍:“初兴的旗袍是严冷方正的,具有清教徒的风格。"
上世纪20年代中期起,上海作为当时的流行时尚中心,开始积极吸收国际流行时尚因素,引领旗袍的发展,对传统的旗袍进行了大胆的改良,因此产生了“海派旗袍”。20年代后期,旗袍开始收腰,旗袍的下摆线高度也一升再升,到了1929年,上海女学生穿的旗袍下摆线已到膝盖处。
        30年代和40年代是旗袍发展的黄金时代,也是近代中国女装史上最为光辉灿烂的时期。此时的旗袍造型纤长,与当时欧洲流行的女装相吻合。这时的旗袍已经完全跳出了旗女之袍的局限,独具一格。旗袍的裁法和结构更加西化,领、袖也采用西式的处理方式,胸部和腰部以及肩部和腋下的部分也变得更加合体了。有人还会用较软的垫肩,谓之"美人肩"。这表明当时的人们在思想上变得逐渐进步和自由,也不再遵循原来陈腐的固定观念。

建国后的旗袍  沉浮
      1949年之后,旗袍在大陆渐渐被冷落,但在香港地区依旧保留了旗袍文化。从1966年至1976年的“文革”十年,旗袍被认为是“旧社会”和“封资修”的象征而被禁穿和废弃。草绿色的军装被当时的年轻人们奉为时尚。
70年代末文革结束以后,中国服装又迎来了新的发展,但旗袍并未流行起来。随着中国改革开放的深入,人们渴慕外面的世界,从头到脚的模仿西方,狂热追求着外来事物。人们无暇重温旗袍的旧日辉煌,更不会平心静气的去做旗袍的审美者。
  
当代   再续辉煌
       90年代以来,旗袍重新登上了时尚舞台,再一次吸引了人们的目光。旗袍多次参展国际服装节并屡屡获奖,许多世界著名服装设计师都曾高度称赞过旗袍并称从旗袍中得到了新的设计灵感。中国的影星们频频以旗袍之姿亮相于诸多国际影展,在国际娱乐舞台上将旗袍的魅力展示给了全世界。甚至连“第一夫人”彭丽媛也十分钟爱旗袍,曾多次身着旗袍接见了国际贵宾,出席各种活动,在中国再次掀起了“旗袍热”。作为有着悠久历史并且最能衬托中国女性身材和气质的传统服装,旗袍一定会越来越受人们的喜爱,并会有更美好的明天!

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