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中国で活躍する日本人

三重大学卒業生 越智 博通さん

                   /張 洪英 訳/古市 和美

 

越智さんは1973年三重大学工学部を卒業しました。工学部の第一期卒業生です。故に彼は当然の事ながら数多くの三重大学卒業生の大先輩です。越智さんは大先輩として、より多くの三重大学卒業生が連絡しあって、みんなが互いの生活や仕事で助け合い交流と協力を深めることができればと強く願っています。

 

 数回の電話連絡の後、私たちはようやく毎週北京、上海と空を飛びまわっている越智さんとお会いする事ができました。越智さんの第一印象は、元気そのものでした。

         海外で働き中国と固い縁で結ばれる

 

 越智さんは既に1970年代には中国との関わりを持ち、中国に触れてからもう30年余りになります。越智さんは大学卒業後まず日本の電子メーカーに就職します。ここで国内営業マンとして2年程過ごした後、海外営業として中国へ初めて出張しました。この中国での営業活動の経験から越智さんは中国を理解し、それが中国で仕事をするその礎となったのです。

 

 越智さんの二番目の仕事は粘着ラベル(ステッカー)印刷機とその材料を生産している日本のメーカーでの海外営業でした。当時の仕事は主に日本の会社の粘着ラベル印刷機やラベル用粘着紙、関連する印刷材料を中国の印刷会社に販売することでした。越智さんはこの仕事を十数年手がけ、この経験により越智さんは当時の中国の印刷業界への理解を深めました。

 

           営業から中国で起業、社長に

 

 越智さんが在職していた会社は他国の同業者よりも早く、初めて中国で事業を展開しました。1980年からようやく中国は専用印刷機を使った粘着ラベル印刷と使用を開始しました。ですから越智さんの言葉を借りるなら、越智さんは中国の粘着ラベル印刷の歴史を100%知っている人といえるでしょう。

 

 越智さんがまだ印刷業界に入る前の1979年頃、当時中国では無錫外貿印刷工場には既にこの粘着ラベル印刷機が輸入されていましたが、印刷紙と印刷版がないため『どんなに賢い奥さんもお米がなければ飯が炊けない』の諺のとおり倉庫に眠ったままになっていました。後に調査の結果、天津の某印刷会社が粘着ラベル印刷に興味をもったのがきっかけで、越智さんは印刷材料を持参し技術紹介と交流に訪れました。そのことから、越智さんは中国での生産に不可欠な印刷用紙、版材、金型などが中国では全く入手できず、全てのそれら消耗品は輸入するしかない事が判りました。しかし当時中国の外貨には限りがあり、よって越智さんの製品の単独販売の販路はすぐに開くことはできませんでした。この状況に対し、越智さんは粘着ラベル生産に必要な材料、例えば用紙、版材、両面テープ、機械の刃などについて一連の製品をセットで販売するような見積もりを行いました。続いて大規模な市場調査を行い、全国各地の印刷会社を訪ね歩きました。中国殆どの省を訪れ、時には何度も足を運び、最後には粘着ラベル生産を考えている印刷会社を一堂に集めて技術シンポジウムを開催しました。この交流会は印刷業界から大いに注目され、皆はこれが中国にまだない新しい物なのだと認識し、国に外貨での購入を申請しようとするまでになりました。国は当時新技術の導入を推奨しており、よって多くの印刷企業からの外貨取引の申請はすぐに認められ、そこで越智さんの勤める会社もすぐに中国で市場を広げる事ができました。

 

 市場の需要拡大に応えるため、越智さんの勤める会社は1985年に北京事務所を設立、越智さんは北京に駐在し事業を展開しました。1988年越智さんはこの会社を離れました。越智さんは数年にわたる日中貿易の経験と、そこで知り合った多くの友人の協力を得て、日本で会社を登記し、電子関係と印刷関係の日中貿易業務に従事しこの仕事は約7、8年続きました。

 

 その後、越智さんは1993年中国で印刷会社を設立する準備を始めました。印刷業は一般の業種と違い、マスコミ出版業界の一部に属し、国家の厳格な規制があります。越智さんは会社の登記に当たり様々な困難がありました。そのためにこの会社は一年後にようやく認可が下りました。   

 

 現在「北京陸通印刷有限公司」は十余年の時を経て安定した成長ぶりで規模も次第に拡大し、2003年に上海で登記した「上海陸通印刷有限公司」も経営が軌道に乗り、また天津地区に印刷会社を建設する準備もしています。この十数年に渡る中国での起業の中で、越智さんはますます中国人の生活に溶け込み、中国に深く根付いていきました。

        三重大学中国人OB(卒業生) 連絡会

 

 三重大学の中国人OB(卒業生)連絡会はおととし準備を開始、去年正式に設立されました。この連絡会の設立に当たり越智さんはその過程を詳しく話してくださいました。

 

 越智さんの印刷会社の社員が天津で連絡業務をしている時、先方の責任者である古山順啓さん(万寿家〈天津〉食品有限公司)も三重大学出身だという事を知りました。越智さんと古山さんは連絡を取り合ううち、北京技術開発区の揖斐電電子(北京)有限公司総経理堀正明さんも三重大学出身だと判りました。そこで三人が集まり交流を深める中で、古山さんの会社に勤務する三重大学出身の中国人が大学出身者の連絡名簿を持っている事を知りました。まだ正式に連絡会という組織だったものは存在していませんでしたが、黄雯さんがずっと上海地区で連絡の仕事をしていることが判りました。後に越智さんと黄さんは連絡を取り、お互いに意気投合した訳です。越智さんは黄さんと相談して、全国的な三重大学中国人卒業生学友会を設立し、天津支部、上海支部、香港支部のように各地に支部を設置し、そこに連絡責任者を置くことを決め、上海支部の黄さんと王初文さんの女性二人が全国的な連絡を担当しました。

 

 2006年クリスマス、学友会の北京支部と天津支部が正式に発足し、同時に初めての会合が開かれました。筆者は幸運にも今年7月7日に北京、天津で開かれた第二回の会合に参加しました。皆仕事が多忙であり、また卒業生たちは中国全土に広く分かれているので、大規模な集まりは容易ではありません。しかし、各支部の小規模な会合はひんぱんに開かれています。皆が一堂に会し、近況を伺ったり、情報交換をしたり、昔の話に花が咲いたりする様はとてもうららかで和やかです。

 

 越智さんは社会的なつながりという面で非常に活躍しており、三重大学学友会の設立に貢献されているだけでなく、「三重県人会(同郷会)」(この連絡会は三重県出身者や三重県での生活経験のある日本人と中国人によって構成されている)の会長でもあり、中国各地の三重県出身者と緊密に連絡を取っています。

 

 宣伝範囲が非常に幅広いメディアとして、われわれの雑誌《中日交流》もこの連絡会に少しでも貢献したいと心から願っています。

(校正/松野 静代)

 

(此文刊登在《中日交流》杂志2007年第4期)

 

 

 

 


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