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中国で出会った人たち (2)

       
(中田 重顕 1942年6月、 中国東北に生まれる、現在、 熊野市久生屋町在住。1990年から、文学同人誌「文宴」同人,文学において数々の賞を受賞している。)
   


  少年時代、津市の県立草の実学園という肢体不自由児養護施設に入って療養していた。萩原三郎とはそこで知り合った。僕は脊椎カリエス、彼は小児麻痺による手足の障害という病名だった。二人に共通するのはともに中国東北地方生まれということだった。旧満州である。つまり、僕や彼が中国を故郷に持つということが、日本の中国への悲しい加害の歴史の証ということだった。

  その後、僕にも萩原三郎にもさまざまな人生があって、一九九六年、すでに初老に入っていた僕たちは、互いの生まれた地を尋ねて中国東北への懐旧の旅に出た。彼は車いすだが、すでに体力は落ちて導尿しなければ尿も出ないような体になっていた。介助してくれるのは、同じ草の実学園の仲間で障害の軽い森君だけ。無謀とも思える旧北満州の奥地への旅だった。私の生まれたのは、現在の黒竜江省北安、萩原は瀋陽だった。

  撫順国際旅行社の周さんがガイドについてくれた。痩せた初老の優しい人物だったが、車いすを介助する膂力は期待できそうになかった。瀋陽で、萩原が生まれた旧満鉄奉天病院を尋ねてから、ハルビン行きの列車に乗った。北安はハルビンからなお列車で七時間もかかる北の果ての町だった。車いすの彼を抱えて死にものぐるいの旅になった。 
                 
  あの頃、ハルビンから黒河行きの列車には軟座はついていなくて、中国の庶民と同じ固い差し向かいの座席だった。すごい混みようでトイレにも立てない。当時まだ、奥地に行くに従って行き交う列車は蒸気機関車が目立っていた。やっと北安の駅にたどり着いた。 
 
 北安の駅は広々と線路が広がり、八月というのに、晩秋を思わす風が吹いていた。心配した階段はない。妙齢の女性が出迎えてくれ私の荷物を持ってくれる。
「北安市外事公司の鄭さんです」

 ガイドの周さんが紹介してくれる。彼女はこんな北の町にも、と思わすほどきちんとメーキャップした美しい人だった。笑うと愛らしさが際立った。しかし、彼女が笑ったのはそれきりだった。その素敵な笑顔を二度と見せることはなく、彼女は不機嫌と憤怒に満ち満ちていた。ホテルに着くと支配人も従業員も叱りつけた。大変な権力を持っているらしく、みんな鄭さんの顔色をうかがっている。

 彼女は僕と両親が住んでいた、ここから五時間かかる李家まで車で案内するという。 
 
北安の町を出るとたちまち、大草原の中に入っていった。見渡すかぎりの青い地平線に、ポプラ並木の真っすぐな道が地の果てまで続く。放牧の馬が走り、牛がゆっくりと歩く草原は限りなく美しい。前後左右どこを向いても地平線である。私は言葉も発することのできない感動に包まれていた。この草原なのだ。あの奥熊野の山に囲まれた小さな村から父と母は、何を思ってこの見はるかす大草原に住んだのであろう。他国の中国に。 
      
  草原の中で、五、六歳の男の子が一人遠い地平線を見ていた。見渡すかぎり人家はなく、この少年はどこから来てどこへ行くのであろう。悠久の風景だった。          
鄭さんは私の生まれた病院を探し出して連れてくれた。一階建ての間口の広いくすんだ石作りの今も病院として使われている建物がそうだという。僕は、半世紀以上も前、自分が生まれた汚れた壁の病院を複雑な思いで見ていた。どの部屋で眠っていたのだろう。どちらにしても、他国で勝手に住み、生まれ、中国人民に迷惑をかけていたのだ。

  その後、彼女は日本の開拓団の住んでいた跡に案内してくれた。北安はソ連侵攻後僅かな期間で占領されたから、ここに住んでいた開拓団の人は殆ど帰れなかったろう。僕たちは父の病気で昭和十九年の秋に引き揚げたので、あの地獄の逃避行に逢わなかったのだ。北安郊外の大平原に多くの日本人たちが無念の眠りについているはずだ。

 帰りの汽車に座席指定はないのだという。ガイドの周さんは心配そうに首を傾げている。僕も森君も七時間立つことはできるが、車椅子はどうしたらいいのだろう。鄭さんはホームまで送ってきてくれる。

 汽車が着いた。すると突如、鄭さんが全力疾走して乗降口の手すりをつかみ、体を張って押し寄せてくる乗客をさえぎり、大声で叱りつけて僕たちを真っ先に乗せてくれた。森君が萩原君を負ぶって先に乗った。車椅子は中国のおばさんたちが争って持ってくれる。おかげで私たちは座ることができた。窓の外の鄭さんに、ありがとう、と叫ぶと彼女はその時、会ったとき以来二度目の沁みるような笑顔を浮かべ、「再見」といった。もう二度と会うことはないであろう、気の強い、しかし責任感と優しさを秘めていた女性に、僕らも心をこめて、「再見、再見」と叫んだ。見る見る彼女は北安の駅に小さくなっていった。

 暫らくすると、にわかに雲が切れ、遥かな地平線に真っ赤な夕陽が沈むのが見えた。この線路沿いの草原で多く死んだ開拓民たちが見つめ、そして中国東北の人たちが永遠に見つめる赤い夕陽の「満州」の、巨大な酸漿のような夕陽だった。
 

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