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中国と日本(一)

排行榜 收藏 打印 发给朋友 举报 来源: 本站原创   发布者:文 劉徳潤 訳/劉淙淙
热度62票  浏览72次 【共0条评论】【我要评论 时间:2009年5月29日 07:37

――遊牧生存圏と海洋生存圏

             

 

 1997年、ハーバード大学東アジア研究所研究員、黄仁宇(1918-2000)の著作『マイクロ中国史』(中国大歴史)は、北京の三聯書店によって出版された。2001年まで8刷。

 黄氏は中国史と西洋史を比較して研究して、広く、新しい視野から中国史の特徴をいっそう明らかに認識した。彼はこの著作の中で「中国史に影響を与えた三大要素」を論じた。

1、黄色い大地。耕しやすい細かい黄土は中華民族を農耕民族にした。三千年前から、広い黄河流域に住んでいる中国人は殆ど同時に農業文明に入った。

2、季節風。大昔から黄河流域、とりわけ北中国は旱魃と水害に見舞われやすい。

3、黄河。頻繁に氾濫し、河床を変更していた。黄河の水害を退治するために、統一した国家が必要であり、全国の人力、財産、技術を動員しなければならない。

 この十年来、私も中国史と日本史を比較して考えてきた。黄氏の学説はまだ不十分ではないかと思う。

中国の地理環境、すなわち遊牧生存圏から中国歴史と文化の特徴を、考査してみようと思う。遊牧民族に囲まれた中国と海に囲まれた日本の相違点を発見してみようと思う。中国人と日本人は外国、とりわけ西洋諸国に対する見方がずいぶん違う。昔、中国は遊牧民族の侵略に抵抗するためにも、中央集権の独裁支配の国家が必要である。

 

 1840年、中国はアヘン戦争でイギリスに敗れた。1842年、敗戦国として恥辱を蒙り、イギリスと『南京条約』を結んだ。不平等条約による香港島割譲、広州、福州、アモイ、寧波、上海の五港開港以来、中国は次第に亡国の道を辿っていったのである。それ以降、中国人は、アヘン戦争の敗北に触れるたび、清朝政府の腐敗無能とイギリス帝国主義の強暴残虐に、ひどく痛恨してやまない。1997年7月1日、香港がやっと中国に復帰したことで、13億の中国人は、やっと溜飲を下げたのだ。

 

  一方、1853年、ペリー来航が徳川幕府に大きなショックを与えた。アメリカは武力を誇示して日本に開港を迫る。翌年、戦争せずに、締結させられた『日米和親条約』によって、日本は不本意ながら下田と函館の二港を開港した。しかし、日本は開港により、不利益よりも多くの恩恵を受けてきたと認識してきた。今、下田では、四、五月のころに、黒船祭が催されている。函館では7月1日を開港記念日とし、一週間、全市をあげて祝賀行事を行う。東京は5月20日、横浜は6月2日、大阪は7月15日に、それぞれ盛大な港祭りが催されている。

 

同じ「開港」ということに対して、中国人と日本人は、全く違った情緒を抱いているのである。

中華民族の生存環境は、遊牧民族に囲まれていた。「(きょう)()」、「(せん)()」、「(もう)()」、「(じょ)(しん)」、「(きょう)」、「(ウイ)(グル)」、「突厥(とっけつ)」、「契丹(きったん)」、「党項(タンクート)」、「土蕃(チベット)」、「(なん)(しょう)」などの異民族との戦争が頻発し、何度も負けて「国破れて山河あり」の悲惨な境地に陥った。屠城(一つの町の住民が全部殺されること)、略奪、破壊、栄華の都は忽ち廃虚と化する。しかし、漢民族は、己れが強くなった時には、周りの恭順しない少数民族を討伐してきた。すなわち、古代中国の歴史は「いじめる、いじめられる」という歴史であって、平等外交の歴史ではない。周りの異民族との戦争と融合によって、中国文化は、中原の農耕文化と周辺の遊牧文化の交わったものになってきたのである。

 

アヘン戦争以後、中国は、列強の軍艦が東の海から逼り、明園炎上、日清戦争、北清事変、日中戦争などの外来侵略に晒された。一歩一歩半ば植民地、半ば封建の社会に変わっていった。中国は世界一の文明国としての自信を失ってしまった。

 

中国の歴史上、外国から来たものは、戦災や亡国の禍が多かった。1960年代初期、中ソ関係の決裂で、旧ソビエトは対中援助の専門家、技師を全員撤収し、中ソ友好の条約を一方的に破った。このことは再び中国人の心を傷つけた。また、1970年代末期の対ベトナムの自衛反撃戦が起こった。外国に対する警戒と不信は、世世代代の中国人のコンプレックスである。

 

今、台湾海峡危機と外国からの軍事干渉の可能性、日本の海外派兵問題、北朝鮮の核問題、ミサイル問題、韓国とアメリカの連合軍事演習、ロシアの軍事力の拡張、2009年春、インドの大規模な軍事演習、インドの軍事力のハイテク化、フィリッピン、マレーシアの軍事力の増強、中国と周辺諸国との領土紛争……中国人は強く警戒しているのである。

 

それに対して、日本は四方を海に囲まれている。日本史上、海を渡って伝わってきたものは、漢字、筆、墨、紙、硯、青銅器、鉄器、陶磁器、水稲、仏教、印刷術、蘭学、西洋医学、また戦後の民主主義、アメリカンドリームなど、好ましいものばかりであろうか。

 

外来の侵略は、1274年の文永の役、1281年の弘安の役だけが挙げられる。、元と高句麗の連合軍は九州に上陸したが、暴風雨、神風のため、敗退した。1945年のマッカーサーと進駐軍の上陸は、日本にとって初めての外国による占領経験であった。

 

  このような生存環境と歴史の違いによって中国人と日本人は、ものの考え方、見方、接し方などがずいぶん違ったものになっている。

 

  中国人にとって外国から受けた侮辱と被害は簡単に忘れることはできない。とりわけ、この百年以上の痛憤の歴史は忘れられない。近代史上の国恥はすべての中国人の骨に深く刻まれている。中国を再び世界の一等強国に築きあげるということは、指導部と庶民の共通の夢と悲願である。

 

遊牧生存圏の中国人、海洋生存圏の日本人の交流は、異文化の交流と言えるであろう。

中日友好は、この異文化による障害を乗り越えなければならない。

 

 

 (中文)

中国与日本

                              ――游牧生存圈与海洋生存圈

                                            

  1997年,哈佛大学东亚研究所研究员,黄仁宇(1918-2000)的著作《中国大历史》由北京三联书店出版,到2001年为止,一共印刷8次。

 

  黄先生进行中国史与西洋史的比较研究,从更广阔,更新颖的视野着眼,更加明确地认识到了中国历史的特征。在该著作中,他论述了“影响中国历史的三大要素”:

 

1,黄土地。易于耕作的纤细黄土,使中华民族成为农耕民族。从三千多年以前,居住在广阔的黄河流域的中国人,几乎同时进入了农业文明。

 

2,季风。自古以来,黄河流域,特别是北中国,容易遭受旱灾,水灾。

 

3,黄河。频繁泛滥,时常改道。为了对付黄河的水患,需要一个统一的国家,必须动员全国的人力,财力,技术力量。

 

  十年来,我也将中国史与日本史进行比较,思考,我认为黄先生的学说还不够完美。我想从中国的地理环境,也就是游牧生存圈来考查一下中国历史与文化的特征。希望发现被游牧民族包围的中国,与被海洋包围的日本的不同之处。中国人,日本人,对外国,特别是对西方各国的看法迥然不同。过去,为了抵抗游牧民族的入侵,中国也需要一个中央集权的专制国家。

 

  1840年,中国在鸦片战争中败给了英国,1842年,蒙受战败国的耻辱,在南京与英国签订了《南京条约》。根据此不平等条约,割香港,开广州,福州,厦门,宁波,上海五港通商,从此,中国逐渐走上了亡国的道路。打那以后,中国人一旦提起鸦片战争的败仗,就会不断痛恨清政府的腐败无能与英帝国主义的强暴残忍。1997年,香港终于回归中国,13亿中国人心中的乌气才总算出来了。

  

  另一方面,1853年,佩里舰队的到来,给德川幕府很大的冲击。美国炫耀武力逼迫日本开港。第二年,兵不血刃就签订了《日美友好条约》。由此,日本虽然不情愿,却只好开放了下田,函馆两个港口。可是,日本逐渐认识到,开港带来的恩惠,远远大于负面效果。今天,在下田,每年45月要举行黑船祭。在函馆,71日定为开港纪念日,全市要举行为期一周的庆祝活动。东京是520日,横滨是62日,大阪是715日,都要分别举行盛大的开港纪念活动。

 

   同样是对于“开港”,中国人与日本人,怀着完全不同的情绪。

 

   中华民族的生存环境,被游牧民族所包围。与匈奴,鲜卑,蒙古,女真,羌,回鹘,突厥,契丹,党项,吐蕃,南诏等少数民族的战争连绵不断,多次战败,陷入“国破山河在”的悲惨境地。屠城,掠夺破坏,荣华之都化为灰烬。可是,汉族在自己强大的时候,也不断讨伐周围的少数民族。也就是说,古代中国的历史,就是“欺负,被欺负”的历史,没有过平等外交的历史。与周围少数民族的战争与融合,中国文化的中原农耕文化与周边的游牧文化逐渐融为一体。

 

   鸦片战争以来,东海上有列强的军舰步步紧逼,火烧圆明园,甲午战争,义和团事件,抗日战争等,中国饱受外来侵略,一步一步沦为半殖民地,半封建社会。中国失去了作为世界头等强国的自信。

 

   在中国的历史上,外国来的东西,尤以战乱,亡国惨祸为多。1960年,中苏关系破裂,前苏联全部撤走援华专家,技术员,单方面撕毁中苏友好条约。这件事再次伤了中国人的心。1970年代末期,还爆发了对越南的自卫反击战。对外国的警惕与不信任,成了世世代代中国人的一个心结。

 

  如今,台湾海峡危机与外国军事干涉的可能性,日本的海外派兵问题,北朝鲜核问题,导弹问题,韩美共同军事演习,俄罗斯的军事实力的扩张,2009年春,印度的大规模军事演习,印军的高科技化,菲律宾,马来西亚军事力量的增强,中国与周边国家的领土争端……

中国人都抱有高度警惕。

 

   与中国不同的是,日本四面环海。日本历史上,从海对面传来的东西,都是好东西:汉字,笔,墨,纸,砚,青铜器,铁器,陶瓷器,水稻,佛教,印刷术,兰学,西洋医学,还有战后的民主主义,美国梦等。

外来侵略,只能举出1274年的文永之战,1281年的弘安之战。元朝和高句丽的联军在九州登陆,却遇上了暴风雨神风而败退。1945年,麦克阿瑟与占领军的进驻,对日本而言,是第一次被外国所占领。

 

   由于这种生存环境与历史的差异,中国人与日本人,思维方式,看问题,处理问题的方法都十分不同。

   中国人不会轻易忘记从外国经受的侮辱与伤害。特别是这一百多年来的伤痛与悲愤的历史,是不能忘记的。近代史上的国耻,深深地铭刻在所有中国人的心中。重新把中国建设成世界一流强国,是中国领导人与民众的共同悲愿。

 

  游牧生存圈的中国人,海洋生存圈的日本人之间的交流,可以说是一种跨文化交流。中日友好,必须跨越这种文化之间的障碍。

 

 

 

 

 

 

                       

 

 

 

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