上海の思い出 3
―普通話と方言
上海外大のある学生が、「私の地方では、自転車で30分も行けば、もう言葉が違います」と言っていました。だぶん、彼は冗談で言ったのだろうとおおもいますが、それにしても、中国には56もの民族が生活し、国土も広範な事を思えば、言葉が複雑多岐にわたるであろうということは容易に推察できます。
では、そのような状況下で、お互いの意思の疎通をはかるためには何が必要かといえば、もちろん「統一された言葉」ということになるでしょう。中国では、この「統一された言葉」を「普通話」と呼んでいますが、日本と少し事情が異なるのは,「普通話」は「標準語」であるということです。
「標準語」は「一国の規範として正式に制定された言葉」ですから、「正しいか,誤りか」の判断が求められます。当然、中国では正しい「標準語=普通話」の教育が徹底されていて、小学校から大学まで、「普通話を話そう」というスローガンが校内のあちこちに掲げられています。勿論、「標準話」が話せなければ、教師にはなりません。義務教育で子供たちを教える教師はもちろん、大学の教師も、1957年以降にうまれた人は、「標準話」のテストに合格しなければならないということです。
この点、日本ではどうでしょうか。日本の学校では、おそらくほとんどの教師が方言(特に、アクセント)で授業をしているのではないでしょうか。それは、日本語には「標準話」がないからです。NHKなどのアナウンサーが使っているのは、東京方言を基本にして作られた「共通語」と言われるものです。方言の違いを乗り越えて、お互いに理解しあうための言葉ですから、コミュニケーション(実用性)が重視されます。もし、日本国政府が「東京方言を以て『標準語』とする」などと言い出せば、革命が起こるかもしれません。私は上海の大学で授業をする際には、やむなく「共通語」を用いましたが、故郷三重県の方言に愛着と誇りを持っています。皆さんはいかがでしょうか。
さて、次の体験は、今回のテーマと直接のかかわりはないのですが、異文化理解という視点では共通性があるので、ご紹介します。
―ある日、中国人の同僚と試験の採点をしているとき、お互いが気づいて驚いたのですが、「正しいか、誤りか」を判断して、その結果を表記する記号の使い方が、日本と中国とでは異なるのです。たとえば、
日本 中国
1+2=3 〇 √
3+4=5 √ ×
という具合です。つまり、「√」印は、中国では正答の場合に用い、日本では誤答の場合に用いるということです。この点はお互いに理解しておかないと、大変なことになりかねません。
最近、「異文化理解」「異文化コミュニケーション」の重要性が呼ばれていますが、上海滞在の5年間を通して、日本の物差しで中国を測ることはできないし、またその逆もできない、ということを深く学ぶことができたいと思っています。
(中文)
普通话和方言
曾经有上海外大的学生这么对我说过:“从我家骑自行车30分钟后所到的地方,人们说的话就不一样了。”我想他也许是在开玩笑吧,不过,对于拥有56个民族,国土辽阔的中国来说,语言的复杂和多种多样也是不难想象出来的。
因此在这样的国情下,如果要做到互相了解沟通,自然需要一门“共通的语言”。在中国,这门“共通的语言”被称作“普通话”。与日本稍有不同的是,汉语的“普通话”其实相当于日语的“标准语”。
所谓“普通话”,就是“被正式制定的一个国家的标准语言”,也就是用来判断是“正确或者是错误”的。所以现在的中国,正进行着彻彻底底的“标准话=普通话”的教育。从小学到大学,“请说普通话”这样的标语在校园里随处可见。不会说“普通话”,就当不了老师。在义务教育阶段,教授孩子们的老师就不用说了,即便是大学老师,1957年以后出生的人也必须合格通过“普通话考试”。
在说“普通话”这方面上,日本又是怎样的呢?日本的学校的老师们,大家差不多在授课过程中说的都是“方言”吧。这是因为在日语里没有“标准话”。NHK的播音员们所使用的“共通语”,据说是以东京方言为基准所制定的。这是因为使用“共通语”是为了消除方言差异,达到相互理解,所以对于其在交流过程中的实用性格外重视。在日本,如果日本政府声称“要把东京方言作为‘标准语’”的话,恐怕会爆发革命的。我在上海的大学任教的时候,虽然不得不说“共通语”,但仍旧对故乡三重县的方言抱着眷恋和自豪之情。大家是怎么认为的呢?
接下来说的亲身体验,虽然和本次的主题没有什么直接关系,但是从对异文化了解的视点来看还是有共同点的,所以也介绍一下。
某日,在和中国人的同事一起批改试卷的时候,彼此都发现了这个问题,还都吃了一惊。
原来中国人和日本人在判断“正确还是错误”的时候,所使用的记号是不同的。比如说:
日本 中国
1+2=3 〇 √
3+4=5 √ ×
总而言之,(√)的记号,在中国表明的是正解,在日本表明的却是错解。如果在这一点上不互相了解的话,可能会造成严重后果的。
最近,一直在提倡“异文化理解”和“异文化交流”的重要性。可是在上海的这五年,我既不能够用日本的标准来衡量中国,相反也不能够拿中国的标准来衡量日本。在这方面上我还想更深入的进行学习。





